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 2013年 3月31日
☆★☆3/31号☆★☆

★神人霊媒日記★

霊媒とは、霊に使われる者では決してありません。
霊・霊団と交渉する立場にあり、その役目の者を言います。
何でもかんでも受け入れ、身体を任せおかしくなることではないのです。
それは霊媒ではなく、ただの憑依を面白がっている状態の人です。
霊主体従という言葉がありますが、霊の言いなりになるということではなく、霊(異次元)の世界に起きたことが、体(現次元)の世界にも反映されてゆく仕組みのことを申します。
そのことを判っていない霊・人も多くおります。
霊によっては、人をさげすんでいる者もいます。
どうせ生きている人間には判らないだろうと嘘ついて、いいように使おうとする者も多いのです。
ですから、真の霊媒として生きることを望むのであるならば、己に掛かっている霊が、どのような霊なのか?
霊の思いの裏まで見抜けるようにならなければ、都合の良いように使われて、散々振り回されることになります…。

霊がかりを神がかりと思い込み、言いなりになっている方も多いです。
神がかりとは、「真の喜びに生きる姿・状態」を申します。
それ以外は、ほとんどが霊がかり。または、己の思い込みなのです。
有名な神・霊・仏・天使等の名前を申したり、姿を見せたり、声を聞かせたりすることは、霊からすれば、実は簡単なことなのです。
適当に、もっともらしく嘘を申せば済むこと。
また、その人の記憶を使い己の思いにすり替えて、都合よくこじつけでものを申せば済むことなのです。
霊媒としての一番の課題は、己の御魂磨きです。
特別な存在として扱われたい。みなに愛されたい。ちやほやされたい。という思いが強い人は、邪霊からすれば格好のしもべに見えます。
我が強くなればなるほど、有名な神・霊・仏・天使等の名前に対してだけは弱くなります。
そういう凄い存在が、私の守護霊なのだ!私を観てくれているのだ!と思いたいからです。
別の観方で云えば、それはどういうことなのか?と申しますと、それだけ有名な存在の言葉だけしか受け入れることのできない
己は我の強い者であるということを観させられていることでもあるのです。
これは、一部の霊能者たちに、よく見受けられる状態です…。<(_ _)>

霊・人を見極める処に関してですが、奇跡や病治しだけ見せても、良い霊・人と決して判断は出来ません。
奇跡や病治しも、良いのだけれど、それだけでは真の導きではないのです。
一時的に肉体の免疫機能を向上させることは実は簡単なことなのです。
奇跡や病治しを見せて、取り込もう、言いなりにさせようとするやり方の霊・人は、
己の力を見せつけて、己に従わせようとする傲慢なやり方にも見えるからです。
真に霊性の高き霊・人は、言いなりにさせようとは決して致しません。
教育の仕方は、生きている人間社会と同じなのです。
良き指導者は、霊であっても、人であっても、相手の立場に立って考え、相手の霊性に応じて
その人の霊性向上の為に、本当に一番良き道を理解致し、導ける人です。
それは、時として厳しい言葉や経験を促すこともあります。
誰よりも理解致し優しく接することでもあります。

霊性の低き霊に使われないような霊媒になる為には、先ず、己の指導霊と繋がること、交流を深めることが重要です。
その絆が強い信頼関係としてあれば、判らないことは素直に指導霊に伺えば良いのです。
己で見聞きいたし判断するやり方は、色々と間違いも多く、慢心に繋がり易く、念の強い霊に憑依され易くもなります。

指導霊と繋がる為には、先ず日々自問自答致しながら、直接心に話しかけてゆくことから始まります。

深い内容につきまして、今までは、講演会のみとさせて頂きましたが、時が来ましたので、これからは全ての内容の転載を歓迎致します。
世の中に、出来るだけ広めて参りたい望んでおります。
但し、あたかも己の言葉であるかのように、著書等に致したりする行為だけは御断り致します。
それは、皆様に嘘をつくことと同じ因果を背負うことになるからです。 神人 拝

(続く)






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