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 2013年 5月13日
☆★☆5/13号☆★☆

★神人霊媒日記★
4月27・28・29日と仙台ツアーに伺ったのですが、28日は色々なことがございました。
非常に多くの縄文の民(霊団)らとの祀り事が為されました…。
話が長くなりますので、配信を何回かに分けてお伝え致したいと思います。どうぞ予め御了承ください。
仙台というは、神人にとりましては何故かいつも新たなことが為される処でもあり、ずっとその理由が判らずにおりましたが、今回のツアーにて遂に判りました…。
御主催はいつも天命舎の大久保さんがして下さっているのですが、大久保さんとの出逢いも本当に心強くとても有難く思っております。
神人の活動を当初より相変わらずにずっと暖かい目で御支援下さっているとても大切な方のお一人です。
思えば、かつて行っていた霊伝(霊媒行為による個人セッション2008.1〜2011.7)が始まったのが、仙台の青麻神社(2007.3.3)からでした。
青麻神社というのは、神社では珍しく日・月・星の大神を祀っております。云わば、日月地でございます。
他社の多くは、おおよそ人霊(権力者)であったり、人によって作られた存在であったりなのですが…。
852年山城国(現在の京都市)より当地に下向した穂積保昌が尊崇していた日月星の三光の神を山峡の岩窟の中に祀ったのが始まりとされておりまして、土地の人々に麻の栽培を教えたことにより、青麻の地名・社名となったようです。
ひふみ祝詞には、表向きの意味として、麻を皆で育て拡げめよという意味も込められておりまして、麻の持つ効能は衣食住医全てにおいて素晴らしいものがあり、そういった英知は大昔から知られております。
予め御理解頂きたいのですが、私は決して青麻神社を広める為に申しているのではありません。神社には、神は居りません。
あくまでも人が作り上げた建物・造り物であり、祀られているのはひとつの目安に他なりません。
霊的に感応するのは、意識の世界ですから、場所・時は問わないのです。
ですから、社は、あくまでも形としての場であるということを御理解頂ければ幸いです。
また、神と霊とを間違ってはなりません。(※ほとんどの人が、霊・霊団を神と思い込まされているということ。)
さて、神人が現在住の京都から見ると、仙台は艮(東北)の方角にあり、神人に掛かった霊団も艮金神を始め、天の日月の神、ひふみの神、艮大神等の名を名乗り、06.6.6より始まり07.7.7に出版された神示名は、日月地神示と定められました。
神人と、京都、仙台(東北の中心地)、日月地、艮金神、ひふみというキーワードが繋がってきます。
また、神示が始まった日、6.6.6の数字は、悪魔の数と世界では言われておりますが、これを、みろくと読むことが出来るのは、実は限られた一部の日本人だけです。
世界中の人々が悪魔の数字であると思い続けてきたが故に、現在666という数字は非常に強い負の念の塊ともなってしまっておりますが、実は判るものだけに判るように神意が隠されている数字でもあるのです。
全ては表裏一体でありますが、666という数字も、333(表)+333(裏)という意味でもあるのです。
3(△▼∴)は、全てを構築する基本となる数字。3ケタは三千世界(神霊人界)。
3+3+3は9。9は、古神道でいう神数。善神/陽(333)+悪神/陰(333)とも考えられます。
両者を合わせれば、善悪全てを司る大神(多重次元宇宙)。
何故、666が悪魔の数字と言われたのか?それは、全てを司る大神(多重次元宇宙)が明らかとなり、世に顕れると価値観の全てが変えられるが故です。
それは、宗教・所有観念等が無くなってしまうからです。
大きな変化を恐れる統治者・宗教家たちからすれば、変革をもたらす要因(人・霊・霊団・思想)は正に異端であり悪魔となる訳です。
私がいうところの、神とは何か?(=命を司る仕組み・エネルギー・顕れ)という真の教えが世界中に為されたならば、どうなるでしょうか?
きっと、宗教が無くなり真の教えのみが残ってゆくことでしょう。
実は既に大変革の時代に入っている(3.11) ということに気付いて頂けましたら幸いです。
昔から、艮金神は、破壊の神(=大変革の神)とされてきました。故に封印され続けられている神でもあります。
京の都からみる艮の神とは、東北(蝦夷=アイヌ=縄文の民)の神とも言えます。
それは、正に自然神であり日月地大神です。
この神が世界中の民に祀られるようになれば、結果皆が大神の中に生きていることを理解することになります。地球そのものが大神であり、御神体となる訳ですから、土地・物の所有という観念が人間の傲慢な考え方に変わってしまいます。
それは、神示でいう天地がひっくり返る時が来る。価値観が180度変わる時が来るということを意味します。
多くの土地と物を所有すればするほど一変して傲慢な人という見方になるのです。
何も持っていない人ほど所有欲の無い人という見方にもなります。
実際に、この世の中には人間の物というものは何ひとつ存在しません。
肉体も借り物であり、全ては地球の一部であるということ。
これが、地球の歴史上最も平和であった時代のレムリア思想(数万年前の東アジア文化圏)であることを一人でも多くの方々に知って頂きたいと思います。
そして、その平和思想は、時が流れ縄文の民(ネイティブジャパニーズ)に継承されてきた教えでもあるということを。

(続く)






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