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 2014年 6月1日
☆★☆6/1号☆★☆

★神人霊媒日記★

先日、仙台ツアーの際、1泊2日で宮城・岩手・青森・秋田を巡る「みちのく縄文の旅」をご企画頂き愉しい旅をさせて頂きました。
御主催下さいました天命舎の皆様、御参加下さった皆様に心より感謝申し上げます。
みちのく縄文の旅で体験したことを何度かに分けて御紹介させて頂きたいと思います。
先ずは、非常に印象的だったのが、岩手県奥州市にあります田んぼに囲まれた「磐神社」に伺わせて頂いた際、荒覇吐神(アラハバキ)を祀る巨石がありまして、こちらからコンタクトをさせて頂いたのですが、岩より色々なことをお教え頂きました。
これまで、岩石との対話というのはしたことがなかったのですが、今回初めて対話させて頂きました。
私はこれまで鉱物というのは、記憶媒体でしかないと思っておりましたので、過去のデータを頂く必要性がある場合に関わる存在という認識をしてきました。
それは、今でも変わらないのですが、但し鉱物の中には人格的な要素を持った存在も稀にあり、対話が成り立つということを今回初めて体験致したのです。
縄文時代からずっと、荒覇吐神=自然神の象徴として、その時代その時代の人々に祀られながら、身近に接し続けて来た為に多くの人々の記憶・念というものが鉱物エネルギーと融合して、そこに存在しているのだと思います。
社の裏に祀られた在ります磐神より、「もっと近くに来なさい」と言われ、大変失礼ながらも私は岩の上に登らせて頂き、手を触れながら話しを聞かせて頂きました。
神人:(テレパシーにて)「昔の人々のお話を聞かせて下さい。」
磐神:(神人口上にて)「この地に居た者たちの記憶全てと言えば切りがあるまい。
ひとつは、ここに人が居った頃、最初は他の星の者たちが居った。
この地には、皆が必要なことをする為に来ていた。
ここから、色んな生命体(もの)を産み出し、この地の人(もの)が産み出され、集い、生き始めた。
それから、苦しみの思いが集まり始めた。人は奪う。壊す。残すものは必要なもの。我々は動かぬ故にある。
人を見れば苦しみが多くなった。かつて我々と関われた者(シャーマン)があったが、いずれも連れ去られては闇へと消えていった。
この地での歴史は、やはり多かれ少なかれ苦しみ、壊す、奪う、罵る、それらが多く、わし等を祀っても、その意味も解らず苦しみに生きていた。
本来であるならば、何を貴び変えねばならぬか、それが解れば喜び生きられたものに。
苦しみ生きるは、人の愚かさ。自業自得な生き物。
時だけが移り変わり、この地に生きる者だけが移り変わってきたに過ぎぬ。
何が必要なのかを学び、良きに変われば良いものを…。」

(続く)

みなうれしうれしうれしたのしたのしたのしかわるかわるかわる。
感謝感謝感謝。
神人 拝






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