☆★☆6/2号☆★☆
★神人霊媒日記★
岩手県奥州市「磐神社」にて荒覇吐神(アラハバキ)を祀る巨石と神人との対話の続きです。
磐神:(神人口上にて)「苦しむことはない。私(わし)はここに居続けているだけ。 人が勝手に祀り、勝手に思う。私はここに居続けるだけだ。 人の意識が、全て産み、壊し、喜び、苦しみ、変わっているだけ。 私は私でしかない。この地で、この地に起こりうる一切を記憶してゆくだけ。 必要なことは全て変化として刻まれるだけ。 私と語り合う目的の者たちも居ろうが、私は記憶を伝えるだけ。 この地に居る目的は何だ? 神人:(テレパシーにて)判らない。 磐神:目的が明らかではない。ならば、この地で何を望んでいるかを考えてみよ。 楽しければ良いか?どのような歴史が在ったかを知れればいいか? 神人:はい。 磐神:ならば先ほど申した。人の移り変わり。苦しみの移り変わりだ。 神人:これからのことに対しては? 磐神:これからの世に対してか?私はここに居続けるだけ。変化を刻まれるだけ。 お前は人として何をしたい? 神人:よく判らない。 磐神:お前は私と話が出来る。何を望む? 神人:何も望まない…。 磐神:何も望まぬか?ならば今、この時を楽しめばいい。私と関わっている今が喜びであるか? 神人:はい。 磐神:ならばそれで良い。苦しむことを止めろ。 お前の中にある苦しみはお前が望んだに過ぎぬ。望む故に苦しむのだ。 望まなければ苦しまん。手放すことでもない。望まなければ良いのだ。 私がここに居続けるように、お前はこの生を只居続ければ良い。 その変化を只感じれば良い。望めば苦しみも訪れる。 喜びというものは、変化を観ることだ。望めば喜びと苦しみ共に訪れよう。 変化を見続けるということを喜びに出来るならば、穏やかに過ごせるぞ。 己の欲は何だ?己の望みを刻みたいのか?残したいのか?それが苦しみの元であろう。 人としてあるならば、人としてある今をその変化を楽しみむだけで良かろう。 望めば苦しむのだ。苦しみたくなければ、望まぬことだ。人々は望み過ぎる故に苦しむ。 進化とは、そういうことではない。望むことが進化ではない。必要に応じて与えられてゆくものを得てゆくだけ。 己だけで生きているのではない。その時代その時代に応じた必要なものはちゃんと与えられる。 与えられるものを喜び生きれば良いのだ。それ以外の物を望む故に苦しむ。 であろう?
みなうれしうれしうれしたのしたのしたのしかわるかわるかわる。
_________________________________ Copyright (C) 2011 神人 kamihito All Rights Reserved. |
|